穂村弘の言葉から
2008年 06月 17日
穂村弘の言葉
「優れた短歌を詠むためには、“ベタである”ことがすごく大切なんです。羞恥心とかない人がすごく多いですから。僕も根本的にはないですね。モノゴトを相対化してみたり、シャイである人には向かないかもしれませんねえ。極端にベタになっている人の作品がよかったりする。与謝野晶子の『やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君』とかね。
もちろん、ベタであるだけではダメですよ。短歌に必要なのは心理的なテンションというか、感情のウェーブ。トレーニングして身につける技術よりも、心のテンションの支配率がグンと高い。だから、素人でもいいものをいくらでも書いてしまうときがある。昔から名歌には恋愛の歌や人が亡くなったときに詠む挽歌が多いのもそのせいです。すごく単純なんだけれど、そういうことなんです」
とはいえ、テンションが低ければ短歌に向かないというわけでもないらしい。「何らかのテンションがあればいいのだ」と穂村さん。
「低いなら低いなりに、蛇のようであるとか、恐ろしいほどに冷たいとか。それが必要なんです。普通っていうのはダメですよ。普通っていうのは、他人にとっては意味のないことですから。例えば、『彼が振り向いてくれないから悲しい』という内容の歌。問題は、その彼が振り向いてくれたら、この歌はもういらないのか?という点です。いらなくなってしまうような歌は、その人にとってしか意味がないでしょ。振り向いてくれても、このときの寂しさは依然として残る……っていうのが名歌ですよね」
生々しいのに永遠性がある……そんな不思議な存在、短歌。巧みに詠むことはもちろん簡単ではないだろうけれど。ま、最初は“ベタな”気持ちを切り取ることから、こっそりと始めてみてもいいかもしれない。誰かに伝わるその日のために。
2003 9/13カフェグローブインタビュー記事から
「優れた短歌を詠むためには、“ベタである”ことがすごく大切なんです。羞恥心とかない人がすごく多いですから。僕も根本的にはないですね。モノゴトを相対化してみたり、シャイである人には向かないかもしれませんねえ。極端にベタになっている人の作品がよかったりする。与謝野晶子の『やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君』とかね。
もちろん、ベタであるだけではダメですよ。短歌に必要なのは心理的なテンションというか、感情のウェーブ。トレーニングして身につける技術よりも、心のテンションの支配率がグンと高い。だから、素人でもいいものをいくらでも書いてしまうときがある。昔から名歌には恋愛の歌や人が亡くなったときに詠む挽歌が多いのもそのせいです。すごく単純なんだけれど、そういうことなんです」
とはいえ、テンションが低ければ短歌に向かないというわけでもないらしい。「何らかのテンションがあればいいのだ」と穂村さん。
「低いなら低いなりに、蛇のようであるとか、恐ろしいほどに冷たいとか。それが必要なんです。普通っていうのはダメですよ。普通っていうのは、他人にとっては意味のないことですから。例えば、『彼が振り向いてくれないから悲しい』という内容の歌。問題は、その彼が振り向いてくれたら、この歌はもういらないのか?という点です。いらなくなってしまうような歌は、その人にとってしか意味がないでしょ。振り向いてくれても、このときの寂しさは依然として残る……っていうのが名歌ですよね」
生々しいのに永遠性がある……そんな不思議な存在、短歌。巧みに詠むことはもちろん簡単ではないだろうけれど。ま、最初は“ベタな”気持ちを切り取ることから、こっそりと始めてみてもいいかもしれない。誰かに伝わるその日のために。
2003 9/13カフェグローブインタビュー記事から
by yukie34jp | 2008-06-17 23:35 | 学び