ベトナムのこと
2014年 06月 17日
ベトナムから帰国した。
ベトナムは、総じてストレスフルな街だった。
どんなに観光化が進んでも社会主義国であることに違いはない。
全部のベトナムの人が全部そうだとは言わないが、
観光客に対して「スレている」という印象を持った。
身内では非常に連帯感が強く、まとまっているという印象。
それに繊細で誇り高く、優秀な人間が多いと思う。
しかし、いや、そのせいか、外国人に対しては油断がならない感じがする。
屈折しているという方が正しいかもしれない。
それは、街なかの売り子や、ウエイトレスだけでなく、観光客に慣れたホテルの人間もそうだし、ガイドもそうだった。
明るい笑顔で、接してくるにも関わらず「何を考えているのかわからない」不気味さがあった。
ベトナムを5日間過ごしただけの印象だが。
ベトナムが変わらない限り、自分は、もうベトナムに行くことはないだろうと思う。
事前に色々調べておいたにも関わらず、「格差」などと生易しい表現では
陳腐だと感じるほど、貧富の差があり、激しい経済の発展の影で人々は膿んでいることを実感したからだ。
痛いのである。
戦後の貧しい日本を少しは知る世代だ、貧富に差が生む理不尽を理解しないではないが、ベトナム人本来の良さが経済主義に汚染されていると思う。
ホーチミンは凍らされて眠っている。
それを観に観光客が列をなす。
外国人と見るや、二口ほどの小さいチョコレートは安宿の料金と同じになる。笑顔は商売用だ。
何がストレスだったかと考えると、自分もまた、嫌らしい人間に思えたことだろう。
つい60~70年前までベトナム同じように貧しい国だった日本。
それがどうだ、経済の発展ですっかり傲慢の体をなす。
発展する経済の中で、日本国民がそぎ落としてきたものはなんだったのだろう。
ハノイを旅して、そのことを強く思った。
ベトナム人(特に北部)の繊細で誇り高い気質は戦火よりも「経済優先主義」によって、汚染されているのではないかと、思うのだ。
社会主義国の人たちは、資本主義(民主主義)を憎みながら、一方で渇望している。
その矛盾した辛さがあるのだ。
金で人を切ってゆく。
それは、私達日本人も過去に経験したこと。
毒を吐いたところで、楽しかったことも書いておこう。
まずは2泊3日ハロン湾クルーズ。
湾はいつも凪いでおり、少しの湿度を含んだやさしい風がふいていた。
ハノイより南に位置するも、涼しい。
奇岩群はユーモアたっぷりに、緑豊かに目を楽しませてくれる。
石灰質の混じった海の色はミルキーグリーン。
私達が乗った船はau号。白い4層のハロン湾では一番大きな船。
何が良かったと言って、中で働く若いクルーたちだ。
実にキビキビ働いて嘘のない笑顔を向けてくれる。
オンボード(一部のアクティビティとドリンク以外オールフリー)
オールインクルーシブを馬鹿にしていたが、今回はその効用を知った。
乗り物酔いする夫は今回のクルーズを期待していないようだったが、静かな海とその風光明媚に感激し、初めてこの旅を楽しめる気になったと言った。
食事は贅沢なものではなかったが、丁寧に作られていた。
何度も言うがサーブしてくれる若いクルー者がとても感じが良い(卑屈ではない)から、気持よく食べられるのだ。
ただ、英語を話すアクティビティ担当のインテリクルーの中には、ベトナムの現状に不満がある若い子もいた。
なんとなく、憂鬱そうな表情の端々にそれを感じた。
物を知るということは・・・辛いことなのだ。
この船のマネジャーを務めるオッサン(フランスなまり英語)などは
そんな感傷は吹っ切れている。
なに甘ったれとんねん!商売やで!と言った風情。
今回の旅では千代紙をを持っていった。
ダイニングで仲良くなったベトナム人の家族とその子供たちとで、
折り紙会を開き、鶴や奴さん、紙オルガンに騙し船などたくさん折って楽しんだ。
余った折り紙は親切なクルーの女の子のあげた。
折り方を教えてくれと言われて、いくつか折ってみせたら、喜んでくれた。
特に、騙し船が好評で、目をつぶってと言うと、それだけで大笑いだった。
自分たちも、唯一楽しいと感じた時間。
ディナーで饗されたオージービーフ(そういう説明だった)が異常に硬くて、
小学生の時(何十年前だ?)歯で優良賞をもらった夫でも噛みきれず残した。
その話を帰りのピックアップでガイドに話したら「こちらの牛は働き者だから」とのこと。
「え?オージービーフじゃなかったの?」と思ったけど黙っていた。
つまり、ベトナムの牛さんだったのね。
ガイドはハノイ大学で日本語を学んだという青年。
日本人観光客の水際を知っている。
それだけに、残念なガイドっぷりだったと言わざるをえない。どこがと言うと「拗ねる」のである。
彼の心情はこうだ「どうせ、あんた達は金を持っている
(金目発言の石原ジュニア、よく聞けよ)それが全てだろ」。
彼のような若者が、そんなふうに考えてしまうところが・・終わってると思った。
私は甘い人間なんだろうか?
観光客の思いとはなんなのか?
そのガイド君は見事に地元タクシーの運転手の生活を助け、
気持ちで結構ですと言いながら別途20ドルのガイド料を請求してきた。
「あんたらには大金ではないだろう?」って態度でね。
そのくせ、「日本人はひったくりに遭うだの、屋台で食べると腹壊すだのと脅かす」
だから、俺についてこいみたいな(笑)
一事が万事そんな具合だった。
よほど、ノータリンな観光客に見えたのだろう。
まぁ、そんなのはどこの国に行ってもあることだし、
夫はパリでスリ被害に遭ってっるし、たまげねーし、ということでガイド君にはお引取り願った。
バイクに轢き殺されそうな道を横断し、喧しいKlaxonにも負けず、
シクロのおじさんの「ヘイ!」を聞かぬふりで歩き回ったホエンキエム湖界隈をうろついた最終日。
なんだかなぁではある。
市中に出回る土産物や食べ物は(根気よく探せばあったのだろうが)特に気にったものはなかった。
刺繍の雑貨は安いし可愛い、漆器、シルクのデザインも独特の良さがあったが品質に、吟味の余地あり。
お土産はチャンティエンプラザ(いかにも、西欧文明の権化)で買った。
安心できるからだ、不実なものをプレゼントするのは嫌だ。
ウォーターパペットもみたし、大聖堂にも行った。
ホーチミン廟や文廟、タンロン城とお定まりの観光ルートを巡った。
いつも、個人旅行で有名ドコロでなくても、オリジナルな楽しい経験をたくさんしてきたので、今回のベトナムは満足のいく旅ではなかった。
ハノイをストレスフルな街と最初に言った。
ベトナムが変わらない限り、もう来ることはないとも言った。
だが、嫌いな街だとは思っていない。
あとを引くような(くせになるような)ものがあるからだ。
それは懐かしくて、痛くて、切ない。
ベトナムは、総じてストレスフルな街だった。
どんなに観光化が進んでも社会主義国であることに違いはない。
全部のベトナムの人が全部そうだとは言わないが、
観光客に対して「スレている」という印象を持った。
身内では非常に連帯感が強く、まとまっているという印象。
それに繊細で誇り高く、優秀な人間が多いと思う。
しかし、いや、そのせいか、外国人に対しては油断がならない感じがする。
屈折しているという方が正しいかもしれない。
それは、街なかの売り子や、ウエイトレスだけでなく、観光客に慣れたホテルの人間もそうだし、ガイドもそうだった。
明るい笑顔で、接してくるにも関わらず「何を考えているのかわからない」不気味さがあった。
ベトナムを5日間過ごしただけの印象だが。
ベトナムが変わらない限り、自分は、もうベトナムに行くことはないだろうと思う。
事前に色々調べておいたにも関わらず、「格差」などと生易しい表現では
陳腐だと感じるほど、貧富の差があり、激しい経済の発展の影で人々は膿んでいることを実感したからだ。
痛いのである。
戦後の貧しい日本を少しは知る世代だ、貧富に差が生む理不尽を理解しないではないが、ベトナム人本来の良さが経済主義に汚染されていると思う。
ホーチミンは凍らされて眠っている。
それを観に観光客が列をなす。
外国人と見るや、二口ほどの小さいチョコレートは安宿の料金と同じになる。笑顔は商売用だ。
何がストレスだったかと考えると、自分もまた、嫌らしい人間に思えたことだろう。
つい60~70年前までベトナム同じように貧しい国だった日本。
それがどうだ、経済の発展ですっかり傲慢の体をなす。
発展する経済の中で、日本国民がそぎ落としてきたものはなんだったのだろう。
ハノイを旅して、そのことを強く思った。
ベトナム人(特に北部)の繊細で誇り高い気質は戦火よりも「経済優先主義」によって、汚染されているのではないかと、思うのだ。
社会主義国の人たちは、資本主義(民主主義)を憎みながら、一方で渇望している。
その矛盾した辛さがあるのだ。
金で人を切ってゆく。
それは、私達日本人も過去に経験したこと。
毒を吐いたところで、楽しかったことも書いておこう。
まずは2泊3日ハロン湾クルーズ。
湾はいつも凪いでおり、少しの湿度を含んだやさしい風がふいていた。
ハノイより南に位置するも、涼しい。
奇岩群はユーモアたっぷりに、緑豊かに目を楽しませてくれる。
石灰質の混じった海の色はミルキーグリーン。
私達が乗った船はau号。白い4層のハロン湾では一番大きな船。
何が良かったと言って、中で働く若いクルーたちだ。
実にキビキビ働いて嘘のない笑顔を向けてくれる。
オンボード(一部のアクティビティとドリンク以外オールフリー)
オールインクルーシブを馬鹿にしていたが、今回はその効用を知った。
乗り物酔いする夫は今回のクルーズを期待していないようだったが、静かな海とその風光明媚に感激し、初めてこの旅を楽しめる気になったと言った。
食事は贅沢なものではなかったが、丁寧に作られていた。
何度も言うがサーブしてくれる若いクルー者がとても感じが良い(卑屈ではない)から、気持よく食べられるのだ。
ただ、英語を話すアクティビティ担当のインテリクルーの中には、ベトナムの現状に不満がある若い子もいた。
なんとなく、憂鬱そうな表情の端々にそれを感じた。
物を知るということは・・・辛いことなのだ。
この船のマネジャーを務めるオッサン(フランスなまり英語)などは
そんな感傷は吹っ切れている。
なに甘ったれとんねん!商売やで!と言った風情。
今回の旅では千代紙をを持っていった。
ダイニングで仲良くなったベトナム人の家族とその子供たちとで、
折り紙会を開き、鶴や奴さん、紙オルガンに騙し船などたくさん折って楽しんだ。
余った折り紙は親切なクルーの女の子のあげた。
折り方を教えてくれと言われて、いくつか折ってみせたら、喜んでくれた。
特に、騙し船が好評で、目をつぶってと言うと、それだけで大笑いだった。
自分たちも、唯一楽しいと感じた時間。
ディナーで饗されたオージービーフ(そういう説明だった)が異常に硬くて、
小学生の時(何十年前だ?)歯で優良賞をもらった夫でも噛みきれず残した。
その話を帰りのピックアップでガイドに話したら「こちらの牛は働き者だから」とのこと。
「え?オージービーフじゃなかったの?」と思ったけど黙っていた。
つまり、ベトナムの牛さんだったのね。
ガイドはハノイ大学で日本語を学んだという青年。
日本人観光客の水際を知っている。
それだけに、残念なガイドっぷりだったと言わざるをえない。どこがと言うと「拗ねる」のである。
彼の心情はこうだ「どうせ、あんた達は金を持っている
(金目発言の石原ジュニア、よく聞けよ)それが全てだろ」。
彼のような若者が、そんなふうに考えてしまうところが・・終わってると思った。
私は甘い人間なんだろうか?
観光客の思いとはなんなのか?
そのガイド君は見事に地元タクシーの運転手の生活を助け、
気持ちで結構ですと言いながら別途20ドルのガイド料を請求してきた。
「あんたらには大金ではないだろう?」って態度でね。
そのくせ、「日本人はひったくりに遭うだの、屋台で食べると腹壊すだのと脅かす」
だから、俺についてこいみたいな(笑)
一事が万事そんな具合だった。
よほど、ノータリンな観光客に見えたのだろう。
まぁ、そんなのはどこの国に行ってもあることだし、
夫はパリでスリ被害に遭ってっるし、たまげねーし、ということでガイド君にはお引取り願った。
バイクに轢き殺されそうな道を横断し、喧しいKlaxonにも負けず、
シクロのおじさんの「ヘイ!」を聞かぬふりで歩き回ったホエンキエム湖界隈をうろついた最終日。
なんだかなぁではある。
市中に出回る土産物や食べ物は(根気よく探せばあったのだろうが)特に気にったものはなかった。
刺繍の雑貨は安いし可愛い、漆器、シルクのデザインも独特の良さがあったが品質に、吟味の余地あり。
お土産はチャンティエンプラザ(いかにも、西欧文明の権化)で買った。
安心できるからだ、不実なものをプレゼントするのは嫌だ。
ウォーターパペットもみたし、大聖堂にも行った。
ホーチミン廟や文廟、タンロン城とお定まりの観光ルートを巡った。
いつも、個人旅行で有名ドコロでなくても、オリジナルな楽しい経験をたくさんしてきたので、今回のベトナムは満足のいく旅ではなかった。
ハノイをストレスフルな街と最初に言った。
ベトナムが変わらない限り、もう来ることはないとも言った。
だが、嫌いな街だとは思っていない。
あとを引くような(くせになるような)ものがあるからだ。
それは懐かしくて、痛くて、切ない。
# by yukie34jp | 2014-06-17 11:44 | 旅